にゃん分間待ってやる

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「もなか」の語源は「最中の月」

モナカとは?

「もなか」とは、薄茶色のパリパリの皮であんこを挟んだ和菓子です。

しかし、元々の「もなか」はもち米粉で作った薄くて柔らかいクレープのような食べ物でした。
平安時代には既にこの形の「もなか」が存在していたようです。

当時は生クリームもイチゴもバナナもチョコレートもありません。
そのため、クレープの皮だけを食べていました。

それがいつしか皮をパリパリに焼くようになり、薄焼きせんべいのような食べ物に変化します。

そして、江戸時代ごろになると薄焼きせんべいに餡子を挟んで食べるのが流行し、現代のモナカと同じような形になりました。

「もなか」は漢字で書くと「最中」

和菓子の「もなか」は漢字では「最中」と書きます。

「最中」という漢字は、昔は「もなか」と読んでいました。
それがいつしか「さなか」とも読まれるようになり、さらに「さいちゅう」という読み方も付け足されます。

現代の「最中」は、「さなか」「さいちゅう」と読まれる方が多く、「もなか」というのは古語のような扱いです。

「最中」を「もなか」と読んでいた平安時代でも「最中」の意味は現代と同じです。

「最中」には「物事の途中」という意味があります。
「最」の字がついていることからも分かるように、「物事の途中」のなかでも特に「山場・クライマックス」のことをさします。

「最中の月」

1ヶ月の真ん中は15日。
その夜のことを「十五夜」といいます。

特に「十五夜」といえば秋。

中秋の名月」にお団子をお供えしながら月面のウサギを眺める。
こういう風習が昔からありました。

十五夜の月」のことを「最中の月(もなかのつき)」と呼ぶこともあります。
意味はそのまんまです。
月の真ん中だから。秋の真ん中でもあります。

旧暦では以下のように季節を分けていました。

  • 1~3月: 春
  • 4~6月: 夏
  • 7~9月: 秋
  • 10~12月: 冬

秋の真ん中は8月。
8月の真ん中は15日。
8月15日は「十五夜」であり、「最中の月」を眺める日。

旧暦は現代とは1~2か月ほど時期がずれるので、旧暦の8月15日は、今でいうと9月15日頃です。

2月にある節分というのは旧暦では大みそかのことで、節を分ける日、年を分ける日でした。
旧暦と新暦では約1ヶ月ずれるので、旧暦の12月31日が、新暦では2月3日頃になります。豆まきの「鬼は外」には、悪いことを追い出す「厄の大掃除」的な意味があります。
「福は内」には、良いことを迎え入れる「あけおめ、ことよろ」的な意味があります。

「もなか」の語源は「最中の月」

平安時代十五夜に「最中の月」を眺めながら茶菓子を食べていました。
今でいう「お月見団子」的な奴ですね。

その時に食べていた薄くて丸いクレープの皮のようなお菓子を「最中の月(もなかのつき)」と呼び始めます。
お菓子の丸い形を「お月さま」になぞらえる、当時の人の遊び心です。

「最中の月」というお菓子は時代と共に変化し、現代の「もなか」のようなものに変化します。
最近では、丸いモナカもありますが、四角だったりキャラクターの形をしていたりで丸くないモナカもたくさんありますよね。

丸くないのに「最中の月」だと違和感があるので、
『月』はいらないんじゃない?
ということになり「最中(もなか)」という部分だけが残ります。

これが和菓子「もなか」の言葉の由来です。

「もなか」という名前が誕生するまでの流れ

  1. 平安時代十五夜に「最中の月」を眺めながら茶菓子を食べていた
  2. その時に食べていたお菓子を「最中の月(もなかのつき)」と呼び始める
    (薄くて丸いクレープの皮のような食べ物)
  3. 「最中の月」が薄焼きクレープから、パリパリせんべいに変化
  4. 「最中の月」、パリパリせんべいに餡子を追加
    (江戸時代に誕生。現代の「もなか」と同じもの)
  5. 「最中の月」が丸くなくなる
  6. 「最中の月(もなかのつき)」から「最中(もなか)」に改名

まとめ

和菓子の「もなか」は漢字で「最中」と書きます。

十五夜のお月さまのことを「最中の月」と呼び、そのとき食べていた丸いお菓子も「最中の月」と呼びました。

お菓子の形状が変わって「お月さま」のまん丸ではなくなったので「最中」とだけ呼ぶようになりました。

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