読解力が低い人の頭の中ってどうなってるの?
最近、若年層の読解力低下の話をよく耳にします。
しかし、若い人に限らず、大人でも読解力が低い人は割といます。
「この人は話を理解していないな…」と思う輩に遭遇することもしばしば。
だいたい、そういう人たちは「想像力」と「知識」が足りていません。
読解力低下の原因: 「想像力」の欠如
たとえば、上記の文章を読めば以下のことが分かります。
そして、直接的には文章に出てきませんが
- 巨人が負けた
という情報も普通の人は理解できます。
しかし、「巨人が負けた」という情報を最初の例文から読み取れない人もまれに存在します。
文章に直接書かれていないことは読み取れないタイプの人です。
このタイプの人は行間や背景を想像することができません。
読解力低下の原因: 「知識」の欠如
たとえば、上記の文章を読めば以下のことが分かります。
そして、直接的には文章には出てきませんが、以下の情報も読み取ることができます。
- 巨人が負けた
- (勝った方の)阪神のスコアは33
- (負けた方の)巨人のスコアは4
しかし、この情報を読み取るためには以下の前提知識が必要になります。
- 阪神と巨人は野球のチーム名である
- 野球ではスコアが多いほうが勝ち
中には、ゴルフのようにスコアが少ない方が勝ちというスポーツもあります。
この文章中には「野球」という単語が1度も出てきません。
漫才コンビの「オール阪神・巨人」がゴルフで対決をしたという文脈であれば、
- (勝った方の)阪神のスコアは4
- (負けた方の)巨人のスコアは33
という意味になります。
野球の文脈の場合とはスコアの中身があべこべになっていることに注目してください。
読解力がある人は、読解力がない人に対して
「文章の中に答えがまるまる書いてあるのになぜ理解できないの?」
と不思議に思います。
しかし、実は「文章中に無い情報」も使わないと意味が理解できないケースは多々あります。
このように、基礎知識がないと正しく情報を読み取ることができません。
つまり、知識の欠如によって読解力は低下します。
日本語に対する「知識」と「想像力」の欠如
「阪神は勝ちましたが、」と書いてあれば、この続きを読まなくても
- 阪神が勝った
という情報が読み取れます。
そして、「阪神は勝ちましたが、」と末尾が接続助詞の「が」になっています。
これは逆接の意味で使います。
「勝つ」という「良いこと」が起こったけど、その後、何か「悪いこと」が起こった。
こういう想像ができます。
たとえば、以下のような文章が続くでしょう。
普通の人は、「接続助詞」や「逆接」のような文法用語は日常生活で使わないと思います。
しかし、文法用語は知らなくても「~ですが」のような書き方をしていれば、「話の流れが変わる」というのは理解しています。
つまり、無意識に文法的な「知識」を活用しています。
しかし、読解力が無い人はこの無意識な「知識」をそもそも持っていなかったりします。
そして、「知識」の欠如によって、話の流れや背景を「想像」することができません。
ニュアンスの違いを理解できない
「勝っていましたが、」の方は、
「途中までは勝っていたけど、最後に逆転されたんだろうな」
ということが想像できます。
「勝ちましたが、」と「勝っていましたが、」は、たった数文字の違いです。
しかし、両者の意味は大きく異なります。
前者は、「勝ち」自体は確定で、勝敗以外の何かで事件が起こったというニュアンスが含まれています。
後者は、「勝ち」自体は未確定、というか逆転されて負けたことがニュアンスに含まれています。
(雨天中止など「負け」以外の結果かもしれないですが)
「勝ちました」と「勝っていました」の違いを文法用語を使って説明しろと言われると、普通の人は答えに窮すると思います。
でも、意味が違うのは理解できます。
説明できないのに意味が理解できるのは、経験則によって「普通はこうなるよね」という判断を無意識にしているから。
つまり、読解力の差は経験値の差だといえます。
一度に処理できる量が人によって違う
たとえば、
3 × 4 = ?
と聞かれれば、普通の人は「12」とすぐに答えが浮かぶと思います。
しかし、
34 × 56 = ?
と聞かれると、答えに困る人は大勢いると思います。
紙とペンがあれば計算できますが、桁が増えると暗算ができなくなります。
このように、掛け算の仕組み自体は理解していても桁が多い(情報量が多い)と処理しきれなくなります。
文章の場合も、これと同じことが起こります。
「Aは○○です。
Bは××です。」
という短文ならば理解できても、
「Aは○○ですが、Bは××です。」
のように1文の中に複数の節が含まれると文章が読めなくなるパターンですね。
2文節くらいならたぶん大丈夫だと思います。
しかし、文節がもっと多くなると読めなくなる人も出てきます。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
このような要素が多い文章になってくると、どのフレーズがどこにかかっているのか理解できなくなる人も多いみたいです。
短文で書くとしたら5つの文に分けるのが適切かな?
- アミラーゼという酵素はデンプンを分解する
- デンプンはグルコースがつながってできている
- セルロースはデンプンと同じくグルコースからできている
- セルロースはデンプンと形が違う
- アミラーゼはセルロースを分解できない
元の文章のように5文相当の情報量を1文にまとめるのはやりすぎかな。
高校生に行った読解力テストでは「アミラーゼという酵素は…」の文章の意味を把握できた人は33%でした。
読解力とは経験則による無自覚な「知識」
「アミラーゼという酵素は…」のような難解な文章は、天才肌の人を除いて一発では理解できません。
普通の人は、無意識に頭の中で「このフレーズはこの単語にかかっていて・・・」のような分解作業をして頭の中で「短文」に組み替えています。
そして、この脳内作業は「するが、」「同じく」などの部分から無意識に日本語の文法知識を使って情報の処理をしています。
この知識がないと、フレーズ同士の相互関係がどうなっているのか理解できません。
つまり、無自覚な「知識」を使って欠けている部分を補間・想像しながら文章を読んでいます。
これらの文法知識は学校でも習っているはずですが、基本的には経験則によって何となく理解している人がほとんどだと思います。
そして、読解力が無い人はこの経験則が足りていません。
経験値がないので読解力がない。
↓
読解力がないので文章の意味を読み取ることができない。
↓
文章を理解できないので経験値が貯まらない。
まとめ
「読解力が低下したのは本を読まなくなったから」という話はよく聞きますが、的を射ていると思います。
別に紙の本や新聞以外でもいいですが、何らかの方法で経験値を稼ぐ必要があります。
「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、同じ文章を読んだ時に周りの人が「10」の知見を得ているときに、内容を理解できずに何の情報も得られない人は周囲の人と知識の格差が広がっていきます。
格差を埋めるには経験値を稼ぐ機会、文章を読む機会を増やす必要があります。
「一を聞いて一しか理解できない人」は、「一を聞いて十を理解する人」の10倍の量の文章に触れなければ差が埋まりません。
経験値が増えれば、いつかは「一を聞いて十を理解する人」に追いつくはずです。
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