FW大津祐樹、現役引退を発表
FW大津祐樹、現役引退を発表
25日、大津祐樹がプロキャリア16年に幕を下ろした。2008年に柏レイソルでプロの世界へと足を踏み入れた後、ボルシアMG、VVVフェンロ、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田と3カ国5クラブでプレー。2018年に加入した横浜F・マリノスでは、デビュー当初の攻撃センスに秀でたアタッカーから汗かき役を厭わないアタッカーへと変貌を遂げ、J1リーグ優勝にも貢献した。また、2012年に行われたロンドン五輪では、大金星を挙げたスペイン戦でのゴールを含むチームトップの3得点を記録し、U-23日本代表をベスト4に導いている。
今シーズン序盤戦はプレータイムを得ていたものの、中盤戦に差し掛かったタイミングで全治5カ月の負傷離脱。結局、シーズン中の復帰は叶わずで、4月23日のJ2リーグ第11節ツエーゲン金沢戦が現役ラストマッチとなった
引退の理由
「契約は期間は残っていますが、今シーズン限りでプロサッカー選手を引退する事を決めました。理由は今シーズンした怪我が大きいです。素晴らしいドクターにオペをしてもらったおかげでプレーに復帰する事はできましたが、100%のパフォーマンスが出す事ができなくなってしまいました。自分の給料はジュビロの中ではかなり高いです。ジュビロの将来の事を考えると来季自分が給料を受け取るよりも若い世代に使って欲しいと言う希望をシーズン途中にクラブにリクエストして話を進めていました。もちろん経験もあるので、騙し騙し60%70%でプレーする事はできます。僕はクラブのために、チームのために100%プレーできない選手に価値はないと思っています。プロである以上自分に対しても厳しく判断した上で引退を決断しました。サッカー人生本当に多くの方々に支えてここまでプレーする事ができました。本当に関わっていただいたすべての方々へ感謝しています。ありがとうございました」
「今後についてですが、スポーツの価値を最大化させるため、スポーツの価値を高めるために酒井宏樹と会社を作って今まで行動してきました。そして今経営している自分の会社以外の事業に挑戦します。1月中には発表したいと思います。サッカー選手を終えてビジネスの世界で活躍する事がアスリートの価値を高めることに繋がります。これからはアスリート代表として頑張っていきます。 大津祐樹」
大津 祐樹選手引退記者会見
――大津選手から一言お願いいたします。
本日は、お時間作っていただきありがとうございます。僕自身、契約はまだ残っていますが、今シーズンでプロサッカー選手を引退することに決めました。
――引退を決めた理由は?
まず、一番大きいのは怪我ですね。最初にオペをしてから復帰するまで、信頼できる素晴らしいドクターに診てもらい、ピッチでプレーできるところまで来ました。ですが、以前の状態に100%戻ったかというと、そうではなくて。僕自身の現役でプレーする条件の中に“自分の力を100%出せること”をポイントの1つとしてやってきて、60~70%でプレーすることは正直できると思っているんですけど、それは他の選手やクラブ、監督、サポーター、スポンサーに対してのリスペクトに欠けるなと感じました。「チームのために」というところを一番大事にしてきたので、自分と向き合ったときに、自分にも厳しくジャッジしなきゃいけないなと感じ、引退を決断しました。
クラブや自分の状況を考えたときに、チームのためにならないんだったら、新しいことに挑戦しようという考えになりました。引退後に何をしようかという不安はなく、ビジネスで戦っていける自信があったので、そのために辞めるというよりは、チームにとって僕自身サッカー選手として、一人の人間として、クラブにとって100%の価値があるのかというところを考えての判断でした。
――具体的にはいつ頃、引退を決意されたのですか?
自分のコンディションを見ながら判断して、シーズン終盤の頃にクラブに伝えました。僕もジュビロの中では給料が低くはないので、僕に使うよりも若い選手に使ってほしい、チームのために使ってほしいとクラブに伝えました。
――チームを大事にする考え方はいつから?
17歳でサッカー界に入ったときは自分のことだけ考えてプレーしてきました。でも、サッカー界にいる中で、チームのためにやれることの素晴らしさを感じられるようになっていきました。若い頃からそういう考え方ができるかというと難しいと思うので、僕が気づけなかった時期があった分、クラブの若手選手には、そこを伝えてプレーすることは意識していました。
――今後の展望を教えてください。
僕自身は5年ほど前から会社を経営しておりまして、スポーツの価値を最大化させることをミッションに、自分が人間として成長させてもらったスポーツに恩返ししていきたいという思いがあります。なので、会社のスケールアップはもちろん、ビジネスの違う分野でも挑戦したいなと思っています。
――これまでで印象に残っている試合は?
タイトルを取ったときのことは、思い出に残っています。ジュビロでJ1に昇格したときもそうですし、マリノスのときのJ1優勝のときもそうです。優勝したときのチームの雰囲気だったり、チームが一つになって戦っていることが実感できる瞬間が好きでした。
――サッカー選手としてやり残したことはありますか?
メッシとクリロナになれなかったことは、やり残したことかなと思っています(笑)。バロンドールを取ることが僕の夢だったので、その夢は叶いませんでしたけど、サッカーには人間的な部分でも育ててもらって、素晴らしい経験をたくさんさせていただいたなと心から思っています。
――海外での経験で得たものとは?
海外に行ったときに一番感じたのは、物事の見え方が違うということ。日本では当たり前だったことが海外では当たり前ではなくて、物事の見方の違いを大きく感じました。海外に行って、バロンドールを獲ることが僕の大きな目標でしたが、自分よりすごい選手たちとやれて、日本では味わえない経験ができたので、大きな経験だったなと感じています。僕が経験して成功できなかったので、海外で活躍している選手は本当にすごいなと思います。
――ジュビロで印象に残っていることはありますか?
素晴らしいクラブだと思っていますし、選手・クラブ・スタッフ・サポーター・スポンサー含めて大きいクラブで、可能性を感じるクラブだったので、ここに来ることができて、期間だけ見ると短いかもしれませんが、濃い3年間を過ごすことができました。思い出は挙げだすときりがないですが、やっぱりタイトルを獲ったときのチームの雰囲気は印象に残っています。
――今年は若手が躍動しましたが、若手に期待することは?
サッカーのレベルがすごく上がっていて、若い世代はチームにとっても必要なピースであるのは間違いないので、思い切ってプレーしてもらえたらいいと思いますし、それをサポートして背中を見せるのが上の選手だと思うので、J1で勝負できる強いジュビロを作っていくためにも、その関係性を大事にしてもらいたいなと思います。
レイソルは、高校卒業時に熱心にお誘いいただいて、一から「サッカー選手とは」というところを教えてもらったクラブで、高校生からプロになるってかなり大きな転換ポイントですが、海外に行くきっかけを作ってくれたのもレイソルだと思っていますし、自分を成長させてくれたすごく大好きなクラブです。
6年半柏でプレーして、正直柏が僕の中でホームになっていたので、そこからの新しい挑戦ということで移籍したんですけど、マリノスも本当にチームを大切にするクラブだったので、チームとして戦うというところはより意識が強くなったのかなと思います。マリノスでの経験は、僕の人間的なところもそうですし、かなり大きく影響を与えたのではないかなと思っています。
――最後に、サポーターへメッセージをお願いします。
3年間ありがとうございました。この街に来て、人が温かいなというのが印象的で、街の雰囲気もジュビロを応援してることが伝わってきて、素晴らしい街だなと思っていました。3年間プレーして、クラブへの思い入れも強くなり、サポーターの皆さんのことも大好きになりました。今後、J1で戦う強いジュビロをつくっていくためには、サポーターの力が必ず必要です。J1でタイトルが獲れるクラブへと、サポーターの皆さんに育ててほしいなと思ってるので、今後も選手・クラブのことをよろしくお願いします。
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