傘の歴史:日よけから雨具への変遷
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傘は、雨や日差しから身を守るために使われる道具です。しかし、傘の起源はとても古く、その用途や意味は時代や地域によって大きく変化してきました。今回は、傘の歴史や昔の傘の用途について解説します。
傘の起源:権力の象徴としての傘
傘の歴史は、約4000年前の古代エジプトやオリエントにまで遡ることができます。当時の傘は、雨を防ぐ道具としてではなく、宗教儀式で使われる「権力を象徴する道具」としての役割を担っていました。また、雨が少なく日差しの厳しい環境であったため、日よけの道具としても使われていました。従者に傘を持たせて日よけをしている姿は、その時代の権力者の威厳を示すものでした。
古代の傘は、現代のように開閉できる技術はなく、開いたままの形でした。また、権力を象徴するという性質が強かったため、様々な装飾が施されており、とても重量感のあるものでした。
傘の変遷:日よけから雨具へ
時代が古代ローマ・ギリシャ時代に移り変わると、特に装飾が施されていない小型の傘も見られるようになりました。しかし、そのころまだ雨具としてではなく、女性の日よけとして使われることが多かったようです。傘という言葉の成り立ちを見れば、昔は日よけとして使われていたことがわかります。英語で雨傘を意味する「umbrella(アンブレラ)」ですが、これは元々ラテン語のumbra=影が語源となっています。昔は傘といえば「影を作るもの=日よけ」だったのです。
その後、ようやく現代のように開閉が可能となった傘が登場したのは、13世紀ごろのイタリアとされています。しかし、その頃の傘といえばアクセサリーとしての意味合いが強く、手に持っているだけということが多かったそうです。そして、現代のような雨用の傘が登場したのは17世紀のことでした。登場したころの雨傘は、女性の使うものという認識が強かったそうです。そのため、男性に使われることはほとんどなく、男性が傘を使えば周囲に驚かれたり、からかわれたりすることもあったようです。男性が雨傘を手にするようになったのは19世紀になってからですが、その時でさえ「杖」というイメージが強く、雨具というイメージが定着するのには時間がかかりました。
日本の傘の歴史:和傘から洋傘へ
日本の歴史上、傘が登場する最も古い文献は「日本書紀」となっていて、百済の王から絹張りの傘が贈られたことが記されています。そのため、日本で最初に登場した傘も雨具ではなく、朝廷への貢ぎ物=権力を象徴する道具だったということがわかります。
雨具として普及するようになったのは江戸時代のことで、いわゆる「和傘」と呼ばれるものです。和傘は柿渋や油などを塗って防水加工した和紙などが用いられています。その和紙を数十本の骨組みで支える構造で、柄と骨部分には主に竹や木が使用されています。種類としては、番傘(ばんがさ)や蛇の目傘(じゃのめがさ)、端折傘(つまおれがさ)などが日本で広く知られています。
日本に洋傘が持ち込まれた当初の江戸時代の傘は、とても高価なため、一般庶民には手の出せない代物で、使用していたのは、武家、医師、洋学者といった一部の人たちでした。明治時代に入ると、文明開化とともに洋傘も普及し始め、明治元年(1868年)に刊行された江戸(東京)の地誌「武江年表」には、「庶民にも洋傘が普及し始めた」ことが記されています。1958年に浅草の傘メーカー「ホワイトローズ」がビニール傘を発明しました。「ビニールフィルムを直接、傘骨に貼りつけよう」という斬新な発想は、当初の傘業界では、なかなか受け入れられるものではありませんでしたが1964年の東京オリンピック観戦のために来日していた外国のバイヤーに目をつけられ、ニューヨークにて大ヒット。世界中に広がりました。
日傘、雨傘、折りたたみ傘にビニール傘。1960年ごろにはワンタッチで開く「ジャンプ傘」が登場し、簡易な雨傘の普及も一気に加速してきました。そして、1964年ごろ洋傘業界は最盛期を迎えます。しかし、平成初期になるとオイルショックやバブル崩壊を迎え、傘業界は多くの会社がより人件費の安いアジア諸国に製造の主軸を移していき、日本の傘職人は多くが廃業に追い込まれていきました。
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